Mr.Kabuskyの投資論

個人投資家 / 株式投資 / テクニカル分析をメインに、短期スイングでトレード / note版 「Mr. Kabuskyの投資論」(https://note.mu/mr_kabusky)とツイッター(@kabu_ism)で、投資についての個人的な考えを発信しています。

筋トレは人生観を変える。

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「筋トレが最強のソリューションである」-この言葉を本屋で最初に目にした時、「言い得て妙だなぁ」と思った。筋トレをする事の一般的な意義は、「ダイエット」や「健康管理」などであろう。確かに、そういうことを目的にジム通いをする人は多い。しかし、筋トレをすることは上記の目的以上の効能をもたらす。筋トレは肉体と精神の両面から根本的に自分を変えてくれる。

 

 

筋トレが最強のソリューションである マッチョ社長が教える究極の悩み解決法

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まず、肉体を鍛えることで体質が変わる。私は筋トレを始める前は食が細く、虚弱体質に近い状態であった。強風が吹けば若干身体が浮いたような錯覚を起こすほど体重は軽かった。元々、気弱な性格では無かったが、嫌な人間に出くわしても見に見えるアクションを起こすような人間では無かった。自分が相手に対抗できる程の肉体的な強さを持ち合わせて居なかったからだろう。勝機が読めない局面では感情的な判断は不利に働くと思っていたのかもしれない。勿論、今でも平和主義者なので物理的な接触を起こして無駄な軋轢を生じさせるような幼稚なことはしない。

 

 

 私がジムに通い始めたのは高校生の時である。当時としては、ジム通いをしている人間は珍しく、また筋トレをしている人間が居たとしても自重トレーニングが主流であった。スポーツジムには筋肥大を促すようなマシーンが豊富である。自重トレーニングから脱却し、同級生よりも強い肉体を手に入れる為にはジム通いが最適だと思った。

 

 

当時、同級生の間で「肩パン」が流行っていた。これは大抵が二人一組になり、一方が脇を締める形で肩に力を入れ、そしてもう一方の人間が拳を握り締め、相手の肩に渾身の力を込めてパンチを繰り出すという一種の根性試しである。お互いが己の力を「肩パン」を通じて誇示し合い、その力の大小によって相手の物理的な潜在能力を探り合う。当時としては、勉強が出来ることと比肩して、こうした遊びがある種のマウンティングの機能を有していた。私は「肩パン」で相手よりも優位な立場に立つことを目標にジムで本格的な筋トレを開始した。目に見える肉体の変化が訪れるには、通常3ヶ月程度の期間が掛かると言われる。私もその原則通り、肉体的な変化が訪れるまでその程度の期間が掛かった。

 

 

 

当初は、「肩パン」を通して同級生から一目置かれる存在になりたいという、かなりチープな目標を念頭に置いて筋トレに励んでいた。しかし、段々と時が経つにつれ、当初の動機は私の中で薄れていった。仮に「肩パン」を制したとして、どうなる?

そのような根本的な疑問が私の脳内で渦巻いたのである。確かに、「肩パン」を制することで物理的な強さを周りに認知させることは出来る。ただ、今は高校3年生。受験生である。田舎の高校とは言え、一応進学校であった。周りは受験勉強を本格的に開始している。その一方で自分は「肩パン」の為に貴重な勉強時間を筋トレに捧げる。本末転倒ではないか。そう思った。

 

 

 

高校3年生にもなって中二病的な症状が現れ、その幼稚な動機の為に学生という本分を忘れた行動に出る。今となっては若気の至りで一笑出来る話だが、当時はその後色々と苦労をしてしまった。やはり、学生の本分は勉強である。ただ、その一方で筋トレをしていたお陰で、その後の苦労に打ち勝つ精神力は身に付いたように思える。筋トレによって肉体的な強さを手に入れただけでなく、精神的な強さも自然と身に付いていたのだ。

 

 

筋トレは己の限界点に向き合う営みである。肉体的な成長を遂げる為には限界点を予め設定するような姿勢ではいけない。常に限界に向き合い、それを乗り越えようとする気概が求められる。苦しい所業である。常に高いモチベーションを維持出来るわけではない。モチベーションに頼らなくとも成果の出る方法論を模索しなければならない。鍛えたい部位に意識を集中し、最大限の負荷を掛ける。限界点を突破しなければ筋繊維は破壊されず、超回復も期待できない。成長の為に創意工夫をし、仮説と実証の繰り返しに勤しむ。その過程で、自分の頭で考え行動するという能動性が自然に身につく。苦痛に耐えつつ、苦難を乗り越え成長しようとする積極性も身につく。

 

 

私はこれまで人並み以上の苦労をしてきたつもりだが、その苦労に精神を蝕まれそうになっても何とか乗り越えて来たのは、筋トレのお陰であると思っている。歳を重ねる毎に「身体は資本」だということを痛感する。よく「自分はもう◯◯歳だから」という諦めにも似た感情を吐露する人間が居る。私に言わせると笑止千万である。年齢は単なる記号。年若くても、精神が年老いている人間は多い。何をやるにしても年齢は瑣末な問題だと思っている。年齢を言い訳にして物事を始めないのは、やらない理由を正当化する為の自己防衛に過ぎない。筋トレをすれば肉体的に若くなる。実年齢に反比例して身体年齢が若くなることは実際にある。

 

 

筋トレを始めるのは何歳からでも遅くはない。世の中には年齢を言い訳に新しい挑戦をしない人間が多い。挑戦することが全て善だとは思わないが、挑戦をしないのに他人の挑戦に対して批評的な態度をとる人間は心が貧しい。自分の人生をより豊かにする為の挑戦は遠慮なくすれば良い。年齢という記号でしかない瑣末な問題に悩まないのは、全て筋トレのお陰だと思っている。肉体的な強さは精神的な強さをももたらす。無形の副産物である。私はこれからもやりたい事を沢山やる。そのきっかけをもたらしたあの「肩パン」は、私にとって些細だが人生観の転機をもたらした偉大な遊びであったように思う。